夏→春連続の難しさ

2008年10月16日

秋の九州高校野球が10月24日から佐賀で開かれる。

鹿児島代表は神村学園と、川内。
夏の甲子園を沸かせた、鹿児島実業の名はない。

他県の代表を見回しても、夏の甲子園に出場したのは
なんと、長崎の清峰だけだ。

ここに夏の甲子園代表の悲哀が見て取れる。

秋の大会に出場するのは当然ながら、1・2年生の新チームだ。

多くのチームは、夏の甲子園予選に敗退するとすぐ、すなわち7月下旬には
1・2年生のチームに切り替わる。

しかし甲子園に出ると、8月中旬までは3年生までのチームが続く。
それなのに甲子園から帰るとすぐ、
各地域の新人戦に出場しなければならない。

新人戦の時点で、甲子園に出なかったチームは
1・2年生の新チームを立ち上げて1か月ほど過ぎている。
一方、甲子園で勝てば勝つほど、
そのチームは、各県予選までの助走期間が短くなるわけだ。

なにしろ県予選で上位に入らなければ、九州大会出場はない。

しかも、秋の九州大会は、来年3月の選抜高校野球の、事実上の予選だ。
九州大会のベスト4が、そのままセンバツ代表になる例がほとんど。

夏 → 春の甲子園連続出場が、いかに大変なことか
おわかりいただけるだろうか。

新チーム結成2か月での成績が、半年先の甲子園の切符を左右する。
ほんとうに厳しい、勝負の世界だ。

さて神村学園と川内、いずれも投手がよい。
守備もこの時期としては安定している。

現時点ではどのチームも、まだ実力が不安定だから、
守備力が計算できるのは、強みだ。

来年のセンバツ、どうなるかなあ。

甲子園は流れ作業

2008年08月13日

夏の甲子園、連日の猛暑(立秋を過ぎたので残暑というべきだろうが、残暑というにはあまりにも暑すぎる)の中展開される熱戦。
しかも観客は超満員。選手としても甲子園出場の経験がある鹿児島実業の宮下正一監督によれば、夏の大会はスタンドのお客さんが白い服を着ているため、フライが上がると保護色のような感じになって、ボールを見失いやすいのだそうだ。

それにお客さんの歓声だってすごいし、アルプスからは吹奏楽の演奏が(ブラスバンドというのは厳密には間違い。このことについては後日機会があればふれよう)容赦なく降ってくる。選手同士の意思疎通だって、よほど声を張り上げなければ難しいことは、素人の我々にも、容易に想像がつく。



こんな独特の雰囲気の中で、日頃の実力を発揮するのは並大抵のことではないが
さらに甲子園ならではの難しさがある。

それは試合進行の速さだ。

甲子園では1試合2時間での進行を求められるという。
そのためとにかく時間に追われるのだ。
たとえば、攻守交替。地方大会の感覚でゆっくりやっていると(地方大会も十分きびきびしていると私には見えるのだが…)審判から「遅いです!」と言われるそうだ。

これは鹿児島工業の中迫俊明監督に聞いた話だが、
甲子園に初めて出ることになったとき、「1試合2時間のつもりで」というアドバイスを、樟南の枦山智博監督から受けたという。

そこで鹿児島工業では、攻撃を終えた選手が守備につく時、どの選手のグラブを誰が手渡すか、担当を決めていたという。とにかくベンチで腰を下ろす余裕もないそうだ。



試合終了後のインタビューは時間配分が決まっている。
まずTV中継のインタビューが3分。NHKが監督にインタビューする隣で、朝日放送が選手へのヒーローインタビューをしている。
その後、新聞や雑誌の取材が13分。
そして我々TVのインタビューが7分。この7分で地方局はもとより、NHKやキー局のニュース用インタビュー、さらには「熱闘甲子園」のインタビューも収録しなければならない。だからこちらも、誰と誰に話を聞くかを決めておいて、その選手がどこにいるか前もって確認した上で、要領よく作業しなければならない。選手だけではなくメディアも流れ作業というわけだ。



すべてが「異空間」の甲子園。選手にとっても、メディアにとっても、その雰囲気に慣れるための事前準備は、いくら周到にしてもしすぎることはない。
(なんだか英作文みたいだな。Can’t …too~だっけ?)

生き続ける鹿実のDNA

2008年08月05日

夏の甲子園、鹿児島実業が西東京・日大鶴ヶ丘に14対1で快勝した。

14安打の猛攻に「21世紀の桜島打線」開花をみる思いがした。
県予選のチーム打率が2割7分8厘だったのでこの打線には正直驚いた。
宮下正一監督は「こんな試合は今回だけですから」と謙そんしていたが。

ところでこの試合、本当の勝因は守備力にあると私はみている。

初回のダブルプレーと、その後のサード・田野尻のファイトあふれる守備は
確かに印象的だが、ここではショート・上坊銀河の再三にわたる好守備についてふれたい。

2回表、上坊は先頭打者の速いゴロを逆シングルで捕球し、アウトとした。
これが外野に抜けていたら日鶴に大量点があったかもしれない。

その上坊、6回には先頭打者の詰まったフライをジャンピングキャッチ!
これだって、外野に抜ければ、相手に攻撃の突破口を開かせる一打となっていたに違いない。

この上坊のプレーに、34年前のあの名シーンがダブった。

34年前の夏にも、鹿実が甲子園にいた。
定岡正二投手を擁し、県勢初のベスト4進出を果たしたあのチームだ。

原辰徳・巨人監督のいた東海大相模との準々決勝。
延長12回裏、セカンド後方へのライナーに飛びついてキャッチし、
サヨナラ負けのピンチを救ったのが、中村 孝二塁手だ。

7月28日、鹿実ナインの壮行会で、鹿児島県高野連の前田 均副会長は
「皆さんには先輩たちのDNAが流れています」と選手を激励した。

中村さんのスーパーキャッチから34年、
上坊のジャンピングキャッチに、そのDNAをみた。

鹿実勝利の翌日、中村 孝さんの長男、亮介くんが、
東東京・関東一高の捕手として甲子園のグラウンドにいた。

3塁アルプスには、鹿児島市から孫の応援にきた祖母のノブさんとともに
息子の応援に声をからす、中村さんの姿があった。

親子二代の甲子園出場と、母校の快勝に、中村さんは満足そうだった。

鹿実、次の対戦は速球派左腕・赤川のいる宮崎商業だ。
前の試合のような大量得点は望めないだろうが、世代を超えて受け継がれた
その守備力で、ぜひ守り勝ってもらいたい。

あれから18年

2008年07月17日

夏の甲子園、鹿児島県代表は鹿児島実業に決まりました。
夏の甲子園は4年ぶり16回目の出場。
就任5年目の宮下監督にとって、初の甲子園です・・・というのは
「監督として」が初めてなのであって、
宮下監督にとっては実に18年ぶりの甲子園なのです。

宮下正一監督は鹿実OBです。
1990年の春・夏、2度の甲子園に
1番、セカンド、主将として出場し、いずれもベスト8まで進みました。

なかでも夏の大会2回戦(対高知商業戦)で
1回の表に初球を打った先制ホームランは強烈な印象があります。
しかもその日は、彼の誕生日でした。

ちなみにその時の4番、サードが、あの内之倉隆志選手
(現・福岡ソフトバンクホークス ブルペン捕手)でした。

ここまで鮮明に記憶しているのは
小生、この年にKTSに入社し、夏の甲子園を現地で取材していたからです。

あれから18年、宮下キャプテンは母校の監督として
甲子園に帰ってくるのです。

甲子園はスタンドが大きく、夏は観客が白い服を着るので
ボールを見失いやすいのです。しかも観客の大声援はまさに
ドルビーサラウンド状態。
この異様な状況で普段どおりの力を出すのは並大抵のことではありません。

それだけに、守備の安定した鹿児島実業のようなチームは
この大舞台でも崩れにくいといえるでしょう。

一つでも多く白星を重ね、「黎明告ぐる」の校歌を
一回でも多く、甲子園に響かせてほしいものです。

鹿工 左のエース、ここにあり!

2008年04月01日

鹿児島工業のセンバツが終わりました。
平安との再試合翌日の3月31日、急いで鹿児島に帰りその日のスーパーニュースで総集編を作り終えたわれわれ取材班。
準々決勝で平安が埼玉・聖望学園に大差で敗れた試合を見つつ、大阪での宿泊費やタクシー代などの精算を終え(これがけっこうめんどくさい)、ようやくブログの更新にこぎつけたというわけです。

さて平安との再試合、1-0での敗退を「敗北」とみるべきか、「成長」とみるべきか。
誰がなんと言おうと後者でしょう。

確かに鹿工は、準々決勝には進めませんでした。
でも名門中の名門、平安に対し、トータル24イニング、ほぼ互角に戦ったこと、とりわけ再試合で、左腕のエース、石堂くんが素晴らしい投球をみせたことが何よりの収穫だと思うのです。

中迫監督は、右のエース、内村くんを中心としたチーム作りをしてきました。
監督は内村くんが中学生の頃から「木佐貫をほうふつさせる凄い投手がいる。育ててみたいがこういう子は鹿工には来てくれないんだろうな、よそに行くんだろうな」と思っていたそうです。

内村くんにも当然、色んな高校から誘いがあったと思いますが彼はきっぱりこう言いました。「ピンチのとき、選手と一緒に考え、戦ってくれる中迫監督に3年間ついて行きたくて、鹿工を選びました」と。
そして期待にたがわぬエースとして、甲子園のマウンドに立ったわけです。

石堂くんは種子島・中種子中出身。内村くんと二人並んでブルペンで投げるのを私も何度か見ましたが、変化球のキレ、ストレートの球威、いずれも内村くんと遜色ない、というのが正直な印象でした。ただ性格がおっとりしているところがあるそうで、中迫監督は「内村くんを押しのけてでも自分がエースに、との意識があまりない」という意味のことを話していました。

それが平安との再試合で、1点は失ったものの、奪三振4、被安打4(しかも5回以降はパーフェクト)。内村の代役どころか、左のエース、ここにありというピッチングを披露しました。

試合後の石堂くん、負けた悔しさに瞳はぬれていましたが「甲子園のマウンドはどうだった?」という私の問いに「よく整備されていてとても気持ちよく投げられました」と答えてくれました。

われわれも取材の過程で、ピッチャーはどうしても内村くん主体になりがちで、石堂くんのことを置き去りにしてしまったのではないかとの反省があります。

鹿児島工業に右の内村、左の石堂という二枚看板が誕生したことは紛れもない事実。引き分け再試合など数々のタフな経験もあいまって、鹿児島工業は、夏の甲子園にむけた代表争いでライバルチームより1歩も2歩も抜きん出たと思います。

とはいえ夏までの数か月でチーム力が大きく変わるのが高校生。鹿工を追う他のチームが切磋琢磨し、2008年の鹿児島の高校野球は例年に増して目が離せないのではないでしょうか。


タグ :鹿工甲子園

甲子園にも春の足音

2008年03月27日

近畿地方はソメイヨシノの開花が発表され、甲子園周辺のサクラもちらほら咲き始めました。
ところで鹿児島工業、つぎの対戦相手が京都の平安に決まりました。
水戸商業戦の勝利から中4日あけての試合となりますが選手はモチベーションを下げることなく好調さを維持しています。
水戸商業に勝った翌朝、選手はいつものように午前7時に起床し、甲子園の周囲を15分ほどかけて散歩しました。
その後宿舎裏の公園の草むしり。実はこの清掃作業は鹿児島実業など歴代の甲子園県代表チームが続けているのです。
そしてこの日の練習から、つぎに平安が勝ちあがった場合に備えて左投手対策も進めていたのです。
甲子園にきてからどの選手もバットがよく振れているという中迫監督の言葉通り、よい当たりを次々飛ばす選手たち。
なかでも中軸の要、中道が、以前にもましてバットが自然にスイングできているようで、外野の高い防球ネットを越えようかという当たりをみせていました。
鹿児島工業は、いま63人の野球部員全員が大阪に来ていて、練習もとても活気があります。ふだん学校では、サッカーやラグビーなど他の部活動とグラウンドを共用していますが、こちらでは一日2時間の限定とはいえ、球場をまるまる使えますので、ベンチ入り以外の選手にとっても恵まれた環境で野球にうちこめるというわけです。(ベンチ入り以外の選手は球拾いや雑用、ノック時のランナー役をしている)
26日の練習では、選手はいつものようにバスで来たのですが、中迫監督は宿舎から徒歩で練習場へ!甲子園にきてからちょっとウエイトオーバーだと気にしていたようで、すこしでも運動量をふやそうと思ったのだとか。選手がウォーミングアップしている間もずっと、外野の周囲を走っていました。

さて27日は第1試合の平安×成章戦を取材したあと、甲子園レフトスタンド後方にある「万里」という中国料理店に入ってみました。いっしょに来ているADくんが、そこのお店のラーメンが美味しいとの情報を聞きつけたのです。
そのラーメン、正しくは「肉そば」と言いまして、塩味のスープにキャベツ、豚肉、玉ねぎ、もやしを豆板醤でピリ辛く炒めたものがのっています。

思いっきりすすったら、豆板醤の辛さが予想以上に襲ってきてちょっと焦りましたが、油通しして炒めた豚肉の風味と春キャベツの甘さ、それに塩味のスープ(やや濃いめの味)がうまく混ざって、なかなかの美味。これで630円だからなおびっくり!他のメニューもなかなかおいしそうで、なおかつボリュームもたっぷり。実はこのお店の2軒となりは、かつて阪神タイガースの合宿所「虎風荘」だったのですが、このボリュームは若い阪神の選手むけだったのかなと思いました。
さて28日は鹿児島工業×平安戦です。初戦の水戸商に続きまたもや超名門校との対戦ですが、名前負けすることなく、守り抜いて、つなぐ打撃で逃げ切ってほしいものです。


放送できなかった甲子園リポート

2008年03月23日

選抜高校野球、鹿児島工業、水戸商に勝ちましたね!

打つほうも4番に抜擢された内村くんが再三のピンチにも集中力を切らさなかったのが何よりよかったと思います。次はこんどの金曜日予定。平安×成章の勝者とベスト8進出をかけて戦うことになりますが、スーパーニュースで放送できなかった甲子園リポートを、ここで披露しましょう。

3月21日(金)
開会式リハーサル。リニューアルした甲子園のグラウンドに足を踏み入れる。地方局がグラウンド内に入れるのはこの日までで、一度新しいグラウンドに入ってみたいという思いもあったので、入ることができてよかった。
内野スタンドが前にせり出し、確かに前よりグラウンドに近い。そしてベンチが深い! タイガースの岡田監督や赤星選手がいろいろ言うわけだ。
鹿児島工業は堂々と、というより整然と行進していた。そして「君が代」を歌う錦江湾高・武記好さんものびのびとした歌声を聴かせていた。

3月22日(土)
開会式。土曜日ということもあり44000人の大観衆。ナインに聞いてもリハーサルとは全然雰囲気が違ったとのこと。ナインと一緒に1塁側内野席で開幕試合(駒大岩見沢×成章)を少し見たが、3塁側の成章応援団は、アルプスだけでは収まらず、外野スタンドの一部まであふれた。その大応援団が、ヒットを打ったり投手が好投するたびに大きな歓声をあげる。歓声なんて生やさしいもんじゃない。まるで地鳴りのような大音響が時速100キロでこちらに向かってくるような迫力。グラウンドにいたら、超特大のドルビーサラウンド状態に違いない。
こんな、ある意味異常な空間で実力を出すなんていうことは、並大抵の精神力ではできないのではないかと感じた。

3月23日(日)
甲子園入りする鹿児島工業ナインを撮影しようとKTSのクルーがスタンバイしていると、警備員がきて「ここをあけてください!」との指示。おかしいなあ、なんで通路をあけるんだろうと思っていたら、ふだん選手が出入りする通用口から、なんと安倍晋三前首相が出てきた。第一試合の下関商業×履正社を、一塁側アルプス(下関商業)で観戦していたのだ。なぜ下関かは分かりますよね?
居合わせた観客もびっくりで、握手やら写真撮影やら大変な騒ぎ。おかげで鹿児島工業ナインはこの出入り口を使えず、試合前練習を行う雨天練習場に直接入ったのだった。
そんな喧騒をものともせず初戦勝利した鹿工は…えらい。


鹿工ナインは郷土のヒーロー

2008年03月20日

選抜高校野球の取材で大阪にやってきました!
小生、甲子園取材は2000年夏以来8年ぶり、選抜は1998年春以来、実に10年ぶりです。

さて20日は夕方から、鹿児島工業同窓会・関西支部主催の激励会が、兵庫県尼崎市で開かれました。

会には同窓会や鹿児島県人会関係者、100人あまりが出席し、選抜にのぞむナインを激励したのです。

挨拶で檀上に立つ同窓会や県人会のお歴々、大多数は高校の後輩であるわけですが、中には主力選手が、自身の中学の後輩であったりするケースもあり、それを披露する姿はとても誇らしげで、かつ嬉しそうでした。
鹿児島工業ナインは、近畿の鹿児島県人、鹿工OBにとって、まさに郷土のヒーローなのです。

「け死んんかぎり気張いやんせ!」なんていうフレーズ、こんなときにしか使わないのでしょうね。

会場には鹿児島弁が飛び交い、芋焼酎の香りが満ち溢れ(もちろん、高校生はウーロン茶ですよ)まるで鹿児島が引っ越してきたかのような盛況でした。


プロフィール
古井千佳夫
古井千佳夫
担当番組
ニュース、各種ナレーションなど
趣味
マニアックなCD収集(古い特撮のサントラなど)
性格
最初は人見知りだが機が熟すとなれなれしくなる
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
カテゴリ
※カテゴリー別のRSSです。
QRコード
QRCODE
山本慎一のひっとぶログ
まいど! ちかピーです
坪内一樹の 話のツボブログ
たけろぐ
makiのセピアblog
さゆりのクローバー
つれづれあいこ。
なつみ館
タマリ倶楽部
武田みどりのmimi cafe
松尾のかおりおか
はるやまのぶろぐ
みえのミエ2
あーの のブログ